第8回 『神宮大麻と国民性』 2
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)7月15日第342号)

●『神宮大麻と国民性』は、第一編「神宮大麻」と第二編「国民性の作用」の二本柱で構成されている。
 第一編では主に、大麻の意義、神宮大麻の概要、頒布の歴史や日常生活との関わりなどについて述べている。
 第二編では、大麻崇拝への至誠の背景となっている天皇や皇室への御神徳と御崇敬、神霊の働きや、わが国の偉大なる歴史や現代の思想界について解説している。
 約一三〇頁の小冊子で分量は決して多いとはいえないが、示唆に富み、中身は濃く充実している。紙幅に限りがあるので、本稿では大麻に関する部分についてのみ紹介していくことにする。
●当山春三氏は第一編の冒頭において先ず、大麻を拝受することの意義を次のように明言する。
「吾々が大麻を拝受すると云ふことは我国民が、天祖天照大神に対する絶対的崇拝の至誠の発露である」
「其至誠は我国民性即称して大和魂と謂ひ、武士道と謂ふものの本源である」
 人々が大麻を崇め奉るのは、単に日常生活における有益性、健康増進や精神作用への好影響といった、実利的な面で評価してのことに止まらない。
 むしろ、「天祖天照大御神に対する絶対的崇拝の至誠」が人々の心の中に収まり切らずに外面に噴出して、大麻拝受という形で可視化した「発露」であるというのである。
 大麻が神に対する崇拝の至誠を象徴する存在であるということは、大麻は神霊が住まうあの世と関わりの深い植物であることを示唆している。
 また、神に対する崇拝の至誠が日本人ならではの気質であり、それは大和魂または武士道の本源だという。
 われわれは、日本人の美徳である大和魂や武士道を日本の神々と結びつけて語ることが少なくない。高貴な神々と繋がる回路を通じて流入した気高い霊性が、この世の人々の精神作用として形象化するとき、それは大和魂あるいは武士道と呼ばれる。
 その気高い霊性がさらに、この世をこの世たらしめている特性、すなわち物質の次元にまで降下してくるとき、それは大麻を依り代にして顕現するのである。
●さて、天照大御神への崇拝は、日常生活の中では通常、各家庭に設置された神棚にて執り行なわれてきた。
 神棚には様々な形で天照大御神の神霊をお祀りし、家庭の最上の神として崇拝する。
 神棚の起源は『古事記』に求めることができる。天照大御神は父親の伊邪那岐命から贈られた神聖な頸飾を御倉(みくら)板(だな)挙(の)神と称えて棚にお祀りされた。
『古事記』は七一二年に編纂されたが、そこに記された神話は神代の物語なので、神棚の始原はそれより遙かに以前の時代にまで遡る。
 神棚が人々の暮らしに幅広く普及するのは、江戸時代中期ごろのことである。社寺における案内人で、参詣者に宿泊の世話までする御師(おし)と呼ばれる人々がいたが、彼らの活躍によって神棚は一般化した。
 その頃、伊勢神宮の御師は全国にお神札を配布しながら伊勢神宮への信仰を勧めていた。各家庭ではこのお神札を祀るために特別な棚を設けていたが、大神宮棚と呼ばれたこの棚が今日の神棚の原型となり、家庭に神棚が設けられるようになったといわれる。
●御師の積極的な活動が功を奏して、江戸時代に伊勢神宮への集団参詣であるいわゆる「お陰参り」の爆発的なブームが巻き起こった。この背景について、当山氏は次のように指摘する。
「そこで熱烈なる我国民は、啻(ただ)に家庭の最上神として崇拝する丈では気が済まず、更に進んで崇拝の至誠を披瀝せんとて、身体の健全なるものは道の遠近を問はず、時の寒暑に拘はらず、天祖の鎮座まします伊勢へ遙々参拝して、種々の幣帛や初穂を捧げて、皇室国家の隆盛、繁栄を祈願すると同時に、自己の安寧幸福なるは天祖の賜物であるとして、其の恩頼を感謝し、以て奉賽の至誠を致したのであります。自ら参拝する能はざるものは、種々なる手段を以て幣帛或は初穂を捧げて等しく奉賽の誠を致したのであります」
 お蔭参りは、お伊勢参り、または抜け参りとも称される。江戸時代に数百万人規模のものが六〇年周期(「おかげ年」と言う)で三回起こった。
 中世末期頃まで伊勢神宮は中世の戦乱の影響で領地を荒らされ、式年遷宮が行なえないほど荒廃していた。その伊勢神宮を建て直すため神宮で祭司を執り行なっていた御師は、農民に伊勢神宮へ参詣してもらうために暦を配るなど各地で布教するようになった。
 戦乱続きで人々の間に厭世観が広まった中世には、来世の幸福を願って沢山の人々が社寺へ参詣した。この影響で神社の参詣も盛んになり、ついには「一生に一度はお伊勢参りをするもの」という通念が生み出された。こうした通念が基盤となって参りの興隆へと繋がっていった。
●古代の伊勢神宮は、皇室の祖先神をお祀りするという理由で、勅許がなければ参拝できなかった。したがって、一般民衆はもとより、貴族ですら私人の参拝は許可されなかった。
 これに関して当山氏は、外来思想がもたらした悪しき産物であるとして、峻烈に糾弾している。
「然るに中古支那制度を模倣せる頃より、王臣以下私人の奉幣を禁ぜられた事があつたのであります。けれども其禁止は仲々功を奏せず、熱誠なる国民は百方手段を講じて参拝奉幣した様である。詔(のり)刀(と)師(し)等の仲介者的のものの出来たのも、或は其れが為ならんと思はれる。右の王臣以下私人の奉幣禁止の事を、現今の宗教者及或る一部の人は、神宮大麻拝受を拒む口実として神宮を敬遠し、神宮と国民とを離間せんとする唯一の材料として盛んに振り廻すのであるが、これは決して自然的必要から出た法令ではない」
「当時の思想界は何事も唐風を随喜して、善悪挙げて真似た結果で、明治の初めに一も二も欧米風を模倣したと同じ事である。由来支那では天子の威厳を保つ手段として、祭祀の如きも天子より諸侯庶人に至るまで、其れ其れ階級的区別を定めたのである。礼記の?、郊、祖、宗、の祭及隋唐の祭祀の制度を研究すれば、蓋し思ひ半ばに過ぐることとおもはれる。即ち全く一時的時代の変態思想の表現で、決して天祖及天皇の大御心ではないのである」
「大神宮儀式解二十一巻にも『或説に、此の制は、上代よりの事にはあらじ、漢意を専ら用ゐらるる御世となりての後の制ならむ、皇国の意を以ていはば、今の世の如く、上一人より、下庶民に至るまで貴賎となく奉幣参拝するぞ、却て大御神の御心に叶ふべく覚ゆ、云々』とあります。以て国民私奉幣の決して止まぬ事を知るに足るのである」
「其他大神宮雑事記、吾妻鏡等に、将軍並に諸国の豪族が私幣を為した例が沢山記されてある。永承三年に宣告を以て、重ねて厳に雨宮の私幣を禁じたことが正慶元年五月外宮禰宜等の連署の陳状に依って明かになつて居る。此の禁令は当時国民間に於ける、尊崇の度の年を経て愈々盛なりし事を証明するに足るのであります。であるから現今は官制を以て臣民の奉賽を掌る事と定められ、積極的に奉献の誠を致さしむる事となったのは当然の事であります」
 大化の改新以降、大陸や朝鮮半島を経て、藤原氏を中心とする外来勢力のわが国への流入が特に顕著になった。
 伊勢神宮への私人参拝禁止は、彼らが神国日本の偉大な力を封じ込めるために、神々と人々の間の霊的紐帯を断絶すべく打ち込んだ楔であった。
 彼らがわが国の皇室と庶民に及ぼした数々の災厄については、既に「お金の本質」の稿で触れた通りである。
●当山氏は自らが所属する神宮神部署宮城支署管内の事情にも触れている。
 仙台藩では、第四代藩主伊達綱村治世下の天和年間(一六八一〜八三)、当時の荒巻村に鎮座していた神明宮を仙台市西北の高丘に遷し、伊勢参宮の代りにここに参詣するよう命じた。
 これは伊勢神宮へのお蔭参りによって領内の金銭が他領に流出することを恐れたがゆえの措置だった。
 ところが、藩民は藩主の命令も聞かず、手段の限りを尽して参拝しようとした。そこで藩は参宮者から税金を徴収する抑止策に訴えたといわれる。
 余りにも穿ち過ぎた話で真偽は不明としながらも、当山氏は「如何に当時仙台藩民の天祖に対する崇敬の厚かりしかを知るに足る」と評する。
 もっとも、お陰参りを規制した藩主伊達家も代々、伊勢神宮への崇敬の篤さでは藩民に勝るとも劣らなかった。
 藩祖政宗は文禄の役の時、肥前名護屋に滞陣中にも神宮大麻を必ず陣中に奉安して朝夕拝礼を怠らず、青葉城内にも御拝所を設け、鄭重を極めて奉齋したという逸話が残っている。
●お陰参りは、名古屋からは片道三日、大阪から五日、江戸から一五日を要した。本州の両端に位置する九州と東北からも参宮者は徒歩で参拝した。
 岩手の釜石からは約百日もかかったといわれる。仙台もほぼ同程度の日数を要したであろう。
 如何にしても押し止めることはできなかった仙台藩民の天祖に対する想いは、これほどまでに熱烈なものだった。
 彼ら参拝奉幣者は、詔刀師を介して祈願祈祷を請い、詔刀師は祈願を終えると祓串などを彼らに分配した。
 こうした祈願の祭事は祓詞(はらえのことば)を提唱したものなので、祓串は大麻(おほぬさ)または御祓(おはらえ)ともいわれ、「専ら修祓の意義を表した物を贈つた」という。
 この詔刀師が後に御師もしくは師職といわれる者となり、檀家に毎年これを配布するようになった。それはおよそ足利時代の嘉吉(一四四一〜四三)から天文(一五三二〜五五)年間の間に始まったとされる。
 以上の経緯を踏まえ、当山氏は次のように憶測している。
「右年代以前の昔は、公然官から頒布したのでもなく、又、神宮から神宮の御事業として頒布したのでもなく、全く国民の赤誠の結晶が自然の結果として余義なく頒布と云ふ形をなしたのであるといふを適当と思ふのである」
 神宮司庁から全国一般に頒布することになったのは、明治維新直後の神祇省の布達(明治四年一二月)からである。それから約四〇年後、天祖天照大神に対する絶対的崇敬の美風良俗をさらに積極的に助長するために、神部署の官制改正が発布(明治四五年四月勅令第八五号)され、純然たる官制の頒布へと至った。(つづく)

 第7回 『神宮大麻と国民性』 1
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)7月1日第341号)

●わが国において大麻は、人々の暮らしと文化に深く密着してきた。大麻は神道において神の象徴であるといわれるが、その一つが「神宮(じんぐう)大麻(たいま)」である。
 神社では神札という護符を頒布している。神札はお札やお守り、守札、神符とも称されることがある。
 神札は紙、木、金属片などを材料にして作られ、天照皇大神宮といった神社の名称、神様の名前、神様を象徴する物の名前が記されている。
 そのなかでも、伊勢神宮が頒布するお神札を「神宮大麻」という。
 昔から「御祓(おはらい)大麻(おおぬさ)」「お伊勢さん」「御祓いさん」とも呼ばれており、「天照皇大神宮」の神号には神様の印と大神宮司の印が押されている。
 大麻はその昔「おおぬさ」と読まれ、元来はお祓いに用いられた麻などを意味していた。後に、お祓いを受ける際に祈りが込められる神札の大切な部分(麻(ぬさ)串(ぐし))に由来するという説明が付されるようになる。
 頒布ルートは二つある。伊勢神宮による直接頒布と、神社本庁経由での間接頒布である。
 通常、神宮大麻は年末に全国の氏神を通じて各家庭に配られる。各家庭ではこれを氏神や他の崇敬する神社のお神札と共に神棚に納めて、一年の家内安全と無病息災などを祈願する。
●神宮大麻は伊勢神宮における数々のお祭りを経て奉製される。
 まず一月八日、神宮大麻と暦の奉製始めの祭りとして「大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)」が頒布部祭場にて執り行なわれる。
 神宮大麻と暦は二月末まで頒布され、翌三月一日に「大麻(たいま)暦(れき)頒布終了(はんぷしゆうりよう)祭(さい)」が内宮神楽殿で行なわれる。
 翌四月中旬、大麻のご用材を伐り始めるにあたり、内宮宇治橋の向い側の山上にある丸山祭場において、神饌を奉って「大麻(たいま)用材(ようざい)伐始祭(きりはじめさい)」が遂行される。
 五ヶ月後の九月一七日には、「大麻(たいま)暦(れき)頒布(はんぷ)始(はじめ)祭(さい) 」が内宮神楽殿が執り行われる。これは全国の崇敬者に翌年度の大麻と暦を頒布するに際して、関係者参列のもとに頒布始めを奉告する祭りである。
 最後に、大麻と暦の奉製の終了を奉告する一二月二〇日の「大麻(たいま)暦奉製(れきほうせい)終了(しゆうりよう)祭(さい) 」をもって一年が締めくくられる。
 また、これらの祭りとは別に、奉製されたお札、お守などをお祓いする「大麻(たいま)修祓(しゆはつ)式(しき)」が、ほぼ週一回の割合で行なわれている。
 神宮大麻の起源は、平安時代末期にまで遡り、御師(おんし)や大夫(たゆう)といわれる人々が全国の崇敬者に、「いさん」などの名称で頒布していた神札に求めることができる。
 御師は神宮に奉仕する神職であると同時に、全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、参宮の案内や自邸の神楽殿で神楽や祈祷を行なっていた。
 御師が崇敬者のためにお祓いし、祈祷を込めて全国に頒布した「御祓大麻」が神宮大麻の淵源とされる。
 御師の活動により、江戸時代後期の安永年間(一七七二〜八〇)には全国世帯の約九割が神宮大麻を拝受していたという記録も存在する。
 明治五年(一八七二)、制度改革が行なわれ、神宮大麻は神宮司庁により奉製頒布されることになった。
 その後、数度の変遷を経て現在では、神宮大麻は昭和二一年(一九四六)に設立された神社本庁が神宮司庁から全面委託を受けて、全国約八万の神社の神職・総代等によって各家庭に頒布されている。
●神宮大麻に関する文献は数少ないが、貴重な記録が今に受け継がれている。当山春三著『神宮大麻と国民性』である。
 当山春三氏は神宮神部署主事を務めた。神宮神部署とは、伊勢神宮大宮司の管理に属し、大麻および暦の製造頒布・奉斎事務など、神宮の付属事業を管掌した役所である。
 明治三三年(一九〇〇)に設置され、終戦直後の昭和二一年(一九四六)に廃止された。
『神宮大麻と国民性』は、神宮神部署宮城支署管内おいて神宮大麻と暦の頒布に従事する人々の参考資料として大正五年(一九一六)四月に刊行された。
 本書は神宮大麻の重要性だけでなく、大麻が日本人と切っても切れない関係にあることを懇切丁寧に解説している。
 限定頒布の非売品ながら、各方面で少なからぬ反響を呼び起こし、再版の要望が相次いだ。
 これから紹介するのは、同年八月に増補再版されたものである。
●まず、この書を世に出した理由について、著者の当山氏は「緒言」において次のように語っている。
「識者口を開けば、何れも現代精神界の変調を憂へ、之が救済の急を叫ばざるはなし。然るに事実は常に之と背馳し、大声疾呼の慷慨も、該博縦横の議論も、何等の反響なく何等の効験なく、所謂物質的文明の波及する所、道徳は月に頽廃し人情は日に軽薄に流れ、競うて新を趁ひ奇に趨り、世は滔々として濁流の中に陥らむとするは、抑々何の故ぞや。是れ畢竟救済を叫ぶ者、自ら真に身を以て任に当らんとするの至誠足らざるにも由るべしと雖も、要するに、変調を来せる根本を探求せざるの然らしむる所なり。換言すれば、徒に枝葉を論じ末節を説き、僅に一時を弥縫して得々たるの結果たらずんばあらず。救済の実挙らざる、敢て怪むに足らざるなり。
 然らば則ち何をか其の根本といふ。曰く我国固有の精神たる、敬神崇祖の至誠の蔭翳せること是なり。之が為に建国の由来をも、国体の尊厳をも、祖先の遺烈をも国本の大経をも忘れて顧みざるに至れるものにして、実に浩歎に堪へざるなり。
 夫れ然り、果して然らば之が救済の道は如何。他なし。真摯なる敬神崇祖の風を鼓吹し、報本反始の至誠を喚起誘掖するに在り。是れ余が?劣自ら揣らず、先輩大家の示教を仰ぎ、又親友諸君の助力に憑り、本書を公にする所以なり。本書は、古来我国民が、天祖天照大御神に対し奉り、絶対的崇拜の至誠を捧げ、其の至誠は軈て忠孝節義、剛健質実の国華となりたる所以を反復説明し、而して神宮大麻を拜受するは、実に此の至誠の発露なりと、断案を下したるものなりとす。
 然るに著者、由来浅学菲才、而も深遠広汎なる国民性の作用を説き、敢て神聖なる神宮大麻頒布の主旨を云為するが如きは、僭越の甚しきものにして、却て神威を涜すの謗を免れ難きを自覚し、衷心慚愧に堪へざるなり。
 只一片耿々の微?より、如何にして敬神思想を喚起し、如何にして大麻頒布の主旨を徹底せしめんかと、苦慮熱中せる結果に外ならざるなり。
 大方諸君、希くは山海の襟度を以て其の衷情を諒せられん事を、」
●『神宮大麻と国民性』が出版された大正五年は、新たな時代的潮流が形成される最中にあった。
 明治三八年(一九〇五)、日露戦争で日本が勝利すると、アジア諸国の間に緊張緩和状況が生じる。
 明治四四年(一九一一)、支那では辛亥革命が勃発し、翌大正元年(一九一二)には清朝が滅亡して中華民国が樹立された。
 この年は、国内では明治天皇の崩御と乃木大将の殉死があり、明治から大正へと時代の移相転換がなされた画期的な節目でもある。
 資本主義の急速な発展と成長によって、国民の間に政治的・市民的自由が生まれ、様々な課題を掲げた自主集団が設立された。自由と権利の獲得、抑圧からの解放に対して声高に叫ぶ風潮が色濃くなってきた。
 日露戦争後に徐々に芽生えていた、いわゆる大正デモクラシーへの本格的な突入である。
 大正五年までの間に朝鮮半島への二個師団増設問題、憲政護憲運動の高まり、民衆デモの頻発、立憲同志会の設立、シーメンス事件、第一次世界大戦勃発、対支二十一箇条の要求といった国内外を揺るがす事件が立て続けに起こった。
 これに伴って激震に見舞われた政局は混乱を極める。
 明治四四年から大正五年まで第二次桂内閣に始まって第二次西園寺内閣、第三次桂内閣、山本内閣、第一次大隈内閣へと目まぐるしく政権交代が行なわれた。
 毎年のように内閣が総辞職する国民不在の不安定な政局は、現在の状況と酷似している。
●こうした政局の混迷は人々の思想や精神の変化とも密接に結びついている。意思と思考が穢れて邪悪なものに変質すれば、その結晶である社会現象や日常生活の風景もまた当然、醜悪な姿を晒すことになる。
 明治時代以降、「教養主義」なるものが徐々に社会に浸透しつつあった。この「教養主義」とは何か?
 関西大学教授で社会学者の竹内洋氏は、教養主義を「万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度」と定義している。
 教養主義は大正以降はその勢いを増して社会全般に深く浸透していく。
 行動や自覚的な反省は蔑ろにされ、知識の詰め込みが称賛された。
 こうした外形的な教養は学歴主義、知識主義、量だけを問う読書主義を助長し、創造的な行為や思考からはますます乖離していく。
 知識や学問という実体験や本質と遊離した記号だけを脳に蓄積するうちに、三次元世界の知覚、すなわち肉体的な感覚器官の五感を偏重するようになるのだ。
 その反面、三次元世界を取り巻いている、五感では捉えられない、広大な多次元世界を感知できなくなる。神々や高級霊との交流が疎遠になったその間隙を衝いて、悪神や邪霊などの魔が入り込んでくるのである。
 教養主義は戦後ますますその勢いを逞しくして、いまや朝野に猖獗を極めるまでに至った。
 かつて当山氏が当時の世相に危機感を抱き、筆を執って警鐘を鳴らした状況と相似している。
 危機的状況という「変調を来せる根本」が「敬神崇祖の至誠の蔭翳」にあり、救済の道は「真摯なる敬神崇祖の風を鼓吹し、報本反始の至誠を喚起誘掖する」(神宮)大麻にある!
 当山氏のこの至言は百年近く経った現代でもまったく色褪せることはない。闇に閉ざされた現代の閉塞状況を打ち破る決定打となろう。
 本号より名著『神宮大麻と国民性』を皆様にご紹介していこうとする目的もまさしくここにある。(つづく)

 第6回 「大麻の精神変容作用」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)6月15日第340号)

●大麻は悠久の人類史のなかで万能の植物として各民族の間で愛用されてきたが、わずか半世紀前に「麻薬」の烙印を押されて闇に葬られてしまった。
 大麻を冤罪に陥れるための偽の根拠が、大麻に含有されているテトラヒドロカンナビノール(以下、THC)という化合物が精神変容作用を引き起こす、というものである。
 大麻にはTHC類似の化学物質が少なくとも六〇種類含有されているといわれる。そのうち生物学的に作用が認められるのは数種類であり、最も強力なのがTHCとされている。
 THCにはアルコールやタバコ、コーヒー、アヘン、コカインなどと同じく、精神変容作用がある。その特性ゆえに医療用薬品にも利用される。
 一方、大麻にはカンナビジオール(CBD)という化合物も含まれている。この化合物はTHCがもつ精神変容作用を打ち消す働きをする。
 したがって、大麻の精神変容作用の強さは、大麻に含有されるTHCの絶対量と、THCとカンナビジオールの割合によって左右されることになる。
 大麻に含まれる二つの化合物の絶対量と割合を基準とすれば、大麻はインド大麻のようにTHCが多いものと、日本大麻のようにTHCが少ないか、ほとんど含まれておらず、かえって精神変容作用を抑えるカンナビジオールが多いものに大別できる。
 通常、前者は「薬用」、後者は「繊維用」と区別されている。
 さて大麻の有害性については、これまでに専門家で組織されたいくつかの調査委員会が本格的な検証を行なっている。以下に列挙する著名な五つの報告はいずれも大麻の有害性を否定しており、極めて重大な意味を持つ。

@英国のインド大麻薬物委員会による報告
 英国のインド大麻薬物委員会は、一八九三年から二年間にわたって調査を実施し、その結果を三六九八ページもの大著に纏め上げた。
 身体的影響については、特異的な体質の人を除けば、強い影響は認められないという。
 これに対して精神的影響は、特異体質の人に限って興奮作用が認められるものの、適度な使用では影響は見られないと報告している。
 こうした結果が出たのは、大麻に含まれるTHCが少量で習慣性もないため、「大量に摂取した」例が見られず、その結果として「適度な量」だけが観測の対象となったことによる。
 但し、この研究は科学技術が今ほど確立されていない百年以上も昔の話であり、内容の信憑性や正確性を巡って議論を呼び起こす余地があると指摘する向きもある。

Aラ・ガーディア委員会報告
 米国で大麻課税法が成立した直後の一九三八年、当時のニューヨーク市長フィヨレロ・ラ・ガーディアが米連邦麻薬局長官アンスリンガーの強引な大麻キャンペーンに疑義を呈した。ニューヨーク医学アカデミーに要請した結果、委員会が開催されることになった。
 委員会は薬理学、心理学、社会学、生理学など二〇人の学者で構成され、中立的な立場を保っていた。
 研究活動は一九四〇年から四年間にわたって行われた。その結果は報告書に纏められて公表され、おおよそ次のような内容だった。
  ・大麻の常習者は、社交的な性格の人 が比較的多く、攻撃的ではない。
  ・犯罪と大麻の関係は見られない。
  ・身体的・精神的には性欲を特別に高 めるような興奮作用は見られない。
  ・禁断症状はない。
  ・数年にわたって大麻を吸い続けても 精神的・肉体的な機能が落ちること はない。
 このように、研究結果はアンスリンガーらの反大麻キャンペーンの内容をことごとく否定するものだった。
 大麻課税法の成立時に使用された宣伝がほとんど医学的根拠を持たず、捏造されたものであったことを、白日のもとに曝したわけである。
 ところが、米政府は都合の悪い結果には無視を決め込んで沈黙したまま、当初から決めた筋書き通り、大麻に「死刑宣告」を下したのだった。

B世界保健機構(WHO)の報告
 一九七〇年、世界保健機構(WHO)で大麻を巡って一一人の学者が討論を行った。
 その成果は『健康および心理に対するアルコール、インド麻、ニコチン、麻薬摂取の結果の相対的な評価』という報告書に記録され、次のように結論付けられている。
 まず、奇形の発生、衝動的な行動、大麻の吸引量が漸増するといった、激しい障害や習慣性はない。
 さらに、麻薬に特有の禁断症状などは認められない。
 注目すべきは、いわゆる「入り口論」に対して、「大麻がきっかけになって、ヘロインなどの麻薬につながることはない」と指摘している点だ。
 当時はベトナム戦争まっただ中にあり、米国ではさまざまな社会運動が活発に繰り広げられていた。
 その影響を受けて、「大麻は麻薬ではないが、若者が麻薬を使うきっかけになる」という、いわゆる「入口論」が登場した。
 アンスリンガーらが行なった一連のキャンペーンでは、一貫して「大麻を吸うと人格が破壊され、凶暴になる」と宣伝していた。
 しかし、それが根拠のない捏造宣伝であることが発覚するや、「大麻自体はそれほど問題ではないかもしれないが、大麻の吸引は若者を麻薬の道へと向かわせる」という理屈にサッとすり替える芸当をやってのけた。
 いずれにせよ、この報告書では大麻吸引の影響として精神的依存性を指摘してはいるが、最終的には「大麻は健康上は問題がない」と結論付けている。

Cシィーファ委員会報告
 ニクソン政権時代、「薬物規制法」に基づいて、元ペンシルバニア州知事のロイヤルド・シィーファ氏を委員長とする「マリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会」が開催された。
 法と秩序の回復を目指してニクソン大統領が直々に開催を命じたものだ。
 マリファナ(大麻)を葬り去ろうとする勢力は、その有害性を捏造する工作を執拗かつ強力に推進した。だが、良識ある人々の粘り強く激しい抵抗に直面し、苛立ちが募るばかりだった。
 業を煮やしたニクソン大統領は、この膠着状態に一気にケリをつけようとして自ら動いたわけである。その決意のほどはシィーファ氏をはじめ委員会の委員のうち過半数をニクソン大統領自身が選んだところに見てとれる。
 ところが、一九七二年に出された報告書『マリファナ〜誤解の兆し』は、ニクソン大統領の思惑と正反対の内容となってしまった。その内容は、以下の通りである。
  ・マリファナを吸うことで起こる身体 機能の障害について、決定的な証拠 はなく、きわめて多量のマリファナ であっても、それだけで致死量に達 することは立証されていない。
  ・マリファナが人体に遺伝的欠陥を生 み出すことを示す信頼できる証拠は 存在しない。
  ・マリファナが暴力的ないし攻撃的な 行為の原因になることを示す証拠も ない。
  ・医学的には、マリファナ摂取による身体機能の変化として、一時的なわずかな変化だが、脈拍が増加する。 最低血圧がわずかに上昇し、最高血 圧は低下する。
  ・目が充血し、涙の分泌が少なくなる。 瞳孔がわずかに狭くなり、目の液圧 が低下することがある。
  ・通常の摂取量ではマリファナの毒性 はほとんど無視してよい。
 さらに、同委員会の翌年の最終報告では、「マリファナの使用は、暴力的であれ、非暴力的であれ、犯罪の源とはならず、犯罪と関係することもない」と断定している。
 ニクソン大統領は報告を受けて烈火の如く怒り、自分が作った委員会の報告書の受け取りを拒否したという。
 先述のラ・ガーディア委員会は、大麻弾圧に反対する勢力が開いた。この委員会の研究報告が大麻の有害性を否定したことに対しては、「自ら都合の良い結果を出したのではないか」という反大麻勢力側からのもっともらしい抗弁を受ける恐れがある。
 反面、反大麻勢力側は自ら組織した「御用委員会」が出す結論に対しては文句は言わない。自分たちに有利な証言をする者たちを優遇することはあっても攻撃するはずがない。
 ところが、こともあろうか、シーファ委員会は雇い主の意向とは正反対の結論を出したわけである。まさしく飼い犬に手を噛まれたニクソン大統領ら反大麻勢力の驚愕と狼狽のほどは察するに余りある。
 権力に媚びず怯まないシーファ委員会のメンバーたちの勇気と度胸の強さは賞賛に値する。
 しかし、大麻の有害性を立証し得る証拠を如何にしても見い出すことができず、根負けしたと言う方がより適切であろう。そもそも大麻は麻薬ではないのだから、当然といえば当然の結果である。

D仏国立保健医療研究所の報告
 一九九八年、フランスの国立保健医療研究所のベルナールピエール・ロック教授のグループが、アルコールやタバコは大麻より危険だという研究報告をまとめた。
 彼らはクシュネル保健担当相の指示で「麻薬の危険度調査」を行った。具体的には、調査対象の各薬物について「身体的依存性」、「精神的依存性」、「神経への毒性」、「社会的危険性」など各項目ごとに調査した。
 その結果、アルコールはいずれの項目でも危険度が高く、ヘロインやコカインと並ぶ最も危険な薬物と位置づけられた。
 タバコは鎮静剤や幻覚剤と並んで二番目に高いグループに分類された。
 これに対し、大麻は依存性や毒性が低く、最も危険度の小さい三番目のグループに入った。

●以上のように、大麻には人格を破壊したり、禁断症状の末に廃人にしたり、反社会的言動を誘発するなどの有害性はほとんど無いのである。
 だが、大麻を憎悪する者たちは、強権の発動や似非学者、マスコミを総動員して大麻を冤罪に陥れる最大級の冒涜をはたらいた。これは裏を返せば、彼らが神の依り代ともいわれる神聖なる大麻の偉大な力をそれだけ恐れていることの証でもある。 (つづく)

 第5回 「大麻規制史 下」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)6月1日第339号)

●現在、日本では「大麻取締法」によって大麻の取扱いが厳しく規制されている。大麻は麻薬や覚醒剤といった薬理作用のある他の禁制物質と同様、目の敵にされている。
 だが、「大麻取締法」が成立するまで、大麻を罪悪視する風潮は無かった。むしろ、国は大麻を優良な農作物と位置づけ、生産の奨励までしていた。
 大麻に対する姿勢が百八十度反転した分岐点は、この法律の制定である。そこに至るまでには様々な葛藤や抵抗があったものの、時代の流れと巨大な権力の前には為す術もなかった。
 それでは、「大麻取締法」制定に至るまでの過程を概観してみよう。
●わが国における大麻の生産は、遙か縄文時代にまで遡る。大東亜戦争終戦までは稲と並ぶ重要な作物として全国各地で栽培されていた。
 大麻の繊維は衣料品の他、下駄の鼻緒の芯や畳の縦糸、蚊帳や漁網、軍服やロープといった様々な軍需物資などに加工された。繊維を剥いだ後のおがらは、お盆の迎え火や送り火として燃やしたり、茅葺屋根の一部や素材にも利用された。
 種子である麻の実は粟や稗などと並ぶ貴重な食糧であり、絞った油は灯油や食用などにも供された。
 喘息の薬として「印度大麻煙草」と称され、一般の薬局でも市販されるなど、大麻は薬品としても庶民の暮らしのなかに深く浸透していた。
●しかし、二〇世紀に入ると米国発の大麻規制の風潮が世界中に拡散し、わが国もその余波を受けることになる。
 その第一波が「万国アヘン条約」中の「第二アヘン会議条約」である。この条約によって、大麻は初めて世界的に統制の対象となった。
 一九三〇年、わが国は第二アヘン会議条約を批准し、「麻薬取締規則」を制定する止むなきに至る。既に世界の一等国となっていた日本は、世界的な大麻規制の流れから一人逸脱するわけにいかなかったのである。
「麻薬取締規則」では、「印度大麻草、その樹脂、及びそれらを含有するもの」の輸出が内務大臣の許可制とされた。一方、製造は届出制とされ、販売は以前と同様に自由であった。
 日本には古来より、一般的に大麻を吸引する文化はない。虫除けのために葉を燃やして屋内を燻したり、きこりや麻農家の人々がタバコの代用品として使用することはあった。また、一部の山岳信仰や密教の中で精神変容のために吸引されていたが、これらは例外といってよいほど特殊なケースだ。
 大麻の使用に際しては、その用途の如何を問わず、人々には法律で取り締まられるような犯罪意識は全くなく、吸引に起因する事件も皆無だった。
 長い歴史のなかで培われ発展してきた大麻文化は、人々の暮らしに余りにも深く密着し、もはや切っても切り離せない存在であった。
 政治家や官僚はそうした大麻の重要性を熟知していた。彼らはここで一計を案じる強かさを発揮する。
 日本政府は、第二次アヘン会議条約が規制している大麻はわが国の大麻とは異なる種類の「印度大麻」である、と定義したのだ。
 実は、第二アヘン会議条約の公定訳では、原文の「Indian Hemp」を「印度大麻」と訳している。
 さらに、「印度大麻とは商業上如何なる名称を以て指示せらるるを問はず、大麻(カンナビス・サティバ・エル)の雌草の乾燥したる、花又は果実の附く枝端にして未だ樹脂を抽出せざるものを言う」と明記している。
 ところが、日本政府は日本の大麻がカンナビス・サティバ・エルであることを承知のうえで、故意に知らないふりをして、あえてこれを無視した。
 第二アヘン会議条約は批准こそしたものの、これを基に制定する麻薬取締規則は国内法なので、米国が介入する余地はない。「第二アヘン会議条約は印度大麻草などの医療用大麻を規制する条約」であるとして、米国の攻勢を巧みにかわしたのである。
 今では隔世の感があるが、当時の政治家や官僚には、こうして第二アヘン会議条約を実質的に骨抜きにしてしまうだけの智慧と機転があった。
●だが、大麻規制の第二波は巨大な津波となって押し寄せ、わが国の大麻文化を根こそぎ破壊することになる。
 一九四五年八月に受諾されたポツダム宣言により、連合国最高司令官の名でGHQ(連合国最高司令官総司令部)から出される覚書(メモランダム)に基づいて命令が下され、各分野で罰則も伴う原則が定められていった。いわゆる「ポツダム勅令」である。
 この中で大麻規制と関連して注目すべきは、同年一一月二四日の「麻薬原料植物の栽培、麻薬の製造、輸出及び輸入等禁止に関する件」なる勅令だ。
 当時の厚生省が発令したこの省令は、麻薬の原料となる植物の栽培、麻薬の製造と輸出入を禁じた。これらの原料となる可能性のある植物から種子、化合物に至るまであらゆるものを規制対象としている。違反者は三年以下の懲役もしくは禁固、五千円以下の罰則に処されるという内容だ。
 興味深いことに、この省令は麻薬をアヘン、コカイン、モルヒネ、ヂアセチルモルヒネ、「印度大麻」と定義し、大麻を「印度大麻草」に限定している。
 同年一〇月一二日に発行されたGHQのH・W・アレン大佐名の覚書「日本における麻薬の生産及記録の統制に関する件」の和訳の中でも、麻薬とはアヘン、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、「Marijuana(Cannabis Sativa L)」とされている。このように大麻だけがあえて英語のまま表記されている。
 ここに日本政府の微力ながらも毅然とした抵抗の意志が窺い知れる。
 米国の規制案は当然、大麻産業に従事する農家や県の役人にも大きな衝撃を与え、抗議へと立ち上がらせた。
 当時の林修三内閣法制局長は、その衝撃を次のように回想している。
「終戦後、わが国が占領下に置かれている当時、占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直のところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである。大麻の『麻』と麻薬の『麻』がたまたま同じ字なのでまちがえられたのかも知れないなどというじょうだんまで飛ばしていたのである」(「大麻取締法と法令整理」、『時の法令』昭和四〇年四月、通号五三〇号所収)
●これに対し、GHQ側は一九四五年一〇月一二日のアレン大佐名の覚書を徹底遂行せよと日本政府に強要した。
 しかし、日本側の抵抗が功を奏したのか、一九四六年一一月二二日に発出された覚書「日本に於ける大麻の栽培の申請に関する件」では申請により栽培が可能とされ、全面禁止という最悪の事態は免れることとなった。
 一九四七年二月一一日には「繊維を採取する目的による大麻の栽培に関する件」という覚書が出される。
 この中では登録や栽培管理、収穫報告などの煩雑な手続きに加え、栽培地域や面積、就労人口にわたる厳格な規定が設けられた。
 栽培面積は日本全体で五千ヘクタール以内、栽培地区は青森、岩手、福島、栃木、群馬、新潟、長野、島根、広島、熊本、大分、宮崎の一二県、就労人口は総計三万人以内に限定された。
 同時に、大麻製の薬品は医療目的も含めて、その利用が著しく制限された。
 一九四七年四月二三日、それまでのGHQの指令に基づく国内規定を整備する「大麻取締規則」が発布される。続いて、これに依拠する「大麻取締法」が両院の厚生委員会並びに衆参両院本会議で可決され、ついに翌年七月一〇日に施行された。
 通常、法律にはその制定目的や趣旨が謳われている。だが、大麻取締法にはその制定目的が記されていない。ここには、GHQに強制的に作らされたという無言の抵抗が秘められている。
 このように、大麻取締法も日本国憲法同様、GHQ側の圧力に押し切られて制定された代物なのである。
 しかし、同時にその一方では、日本側の抵抗が中途半端だったために招いた結末であることも否めない。
 そして、過剰な自己検閲と大麻の重要性に対する認識不足が、その後に訪れる失地回復の絶好の機会を逃したことも、また事実なのである。
●一九五〇年、占領法制の再検討と戦後の新体制にかかる議論が国会で執り行われた。
 この際、大麻取締法に関しても、大麻生産農家や関係者からの強い見直し要請を受けて、衆議院厚生委員会で麻薬取締法と大麻生産のあり方を巡る議論が展開された。
 ところが、論点は日本における大麻生産の歴史、戦時中に大麻栽培を奨励した軍部の方針との整合性などに絞られていた。
 大麻が持つとされる薬理作用の有無、厳格な罰則規定の対象とするに値するだけの害毒の有無についての検証といった本質的な議論は一切ない。「進駐軍の指令は前後のつじつまが合っているか」が唯一の論点だった。
 議論の末、大麻取締法は一九五三年に改正されたが、大麻の定義が「大麻草及びその製品」と改められ、種子を規制対象外とするに止まった。
 逆に、一九六三年の改正では罰則の法定刑が引き上げられ、一九九〇年には栽培・輸入・輸出・譲渡し・譲受け・所持等についての営利犯加重処罰の規定、及び未遂罪、栽培・輸入・輸出についての予備罪及び資金等提供罪、周旋罪が新設された。
 さらに、一九九三年の改正において、資金等提供罪の処罰範囲の拡大、大麻の運搬の用に供した車両等への没収範囲の拡大、国外犯処罰規定の新設等が行われた。
 制定から十数回行われた改正では、このようにむしろ日本人自らが積極的に主導して改悪に次ぐ改悪を重ね、取締をより厳格化している。
 他人が勝手に決めたルールの妥当性を一度も検証せず、愚直にこれを墨守して、違反者を血祭りに上げる。魔女狩りにも似た狂気の沙汰は、いまや日常を彩るお馴染みの光景となり、いよいよその猛威を逞しくしている。
 現代日本の大麻規制厳格化の歴史は、原理主義的な偽善的正義感と過剰な自己検閲、免疫力の減退と思考停止が招く他人依存、そしてこの為体を恥とも思わぬ奴隷根性が重症化してきた軌跡でもある。(つづく)

 第4回 「大麻規制史 中」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)5月15日第338号)

●今回は東洋の大麻規制事情について概説することにしたい。
 先ずはイスラム教圏である。
 紀元前六〜七世紀のゾロアスター教の経典『ゼンドアヴェスタ』には「大麻は幸福の源なり」という記述がある。紀元前八〇〇年頃のトルコのアンカラの古墳から大麻が出土しており、紀元前六五〇年のアッシリアの楔形文字板には大麻の記録がある。
 紀元前五〇〇年頃栄えたイランのアケメネス朝は、薬物や繊維を目的に大麻を栽培する文化を形成していた。
 紀元前一〇〇年頃、ペルシア民族宗教の神官(アギ)の間で大麻を荒行や幻術に用い、大麻吸引によって得られる幻夢を利用して人の一生や未来を占った。この幻術を基礎として発達したのが古代ペルシア医学であり、大麻を麻酔薬にして外科手術を行なった。
 大麻はイスラム教の秘儀に使用され、『アラビアンナイト』にもよく大麻を愛用する場面が描かれている。
 一〇〜一一世紀にはペルシアでHashshashinなる土民の暗殺団が組織され、大麻を吸引して他民族、特に白人を攻撃・殺害したという俗説があるが、真偽のほどは定かでない。
 なお、英語のassasin(刺客)は先述のアラビア語のhashshashin [hashishの吸引者]に由来するという。
 このように二千年にも及ぶ大麻の歴史を持つイスラム圏ではあるが、今日ではコーランにより麻薬の使用が厳禁されている。大麻も麻薬の一種としてその所持や売買などは厳罰に処すため、最高刑を死刑にしている国が多い。
 なかでもサウジアラビアは特に厳しい。麻薬使用で終身刑、運び屋など麻薬売買に従事した者には死刑(斬首刑又は絞首刑)が宣告される。
 一方、トルコでは栽培は政府の監視対象であり違法とされるが、種はスパイスとして食され、乱用目的以外の使用は合法とされ、取締りが緩い。
イランについては詳細は不明だが、実質的に合法とされているようだ。
 トルコやイランのように大麻との付き合いが長い国では、大麻の価値を知るがゆえに寛容な態度で接する。新興イスラム諸国では、一神教でしかも原理主義の偏狭さゆえに大麻を厳しく取り締まる、ということだろうか。
●次はイスラム教圏同様に古くから大麻吸引文化を誇るインドである。
 紀元前三世紀のインドの医学書によると、大麻樹脂は去痰剤として使用された。伝統医学のアユルヴェーダでは、大麻樹脂が鎮痛剤、鎮痙剤、消化促進剤、利尿剤に利用されている。
 また千年以上もの間、大麻は精神活性薬として庶民の間に浸透していた。
 古代インドの文献『魔法の科学』では大麻を「悩みから開放してくれる五大薬草の中の一つ」と紹介している。
 ヒンドゥー教徒にとって大麻は神聖かつ不可欠なものである。ヒンドゥー教の重要な神様である破壊神シヴァはハング(大麻)の守護神として有名だ。
 ヒンドゥー教徒の中でもサドゥー(出家者)は特に大麻を神聖視する。彼らは在家の人々のバクシーシ(喜捨)によって大麻を入手し、チラムと呼ばれるパイプで日常的に喫煙する。
 サドゥーはカースト制度からドロップアウトした不可触賎民だ。それにもかかわらず、彼らはヒンドゥー教の霊的教師として崇め奉られていた。
 サドゥーと在家信者と大麻が織りなす三位一体にこのパラドックスがメビウスの帯のように絡み合う。こうしてヒンドゥー教を土台とするインドの社稷は最近まで健全に機能してきた。
 ところが一九六四年、大麻をヘロインやコカインと同等に扱う「麻薬に関する単一条約」を批准してから状況が一変した。
これによってインドは二五年の準備期間を経て、八九年に大麻を非合法化してしまった。さらに、この後間もなくアルコールを解禁してしまう。
 ヒンドゥー教が何千年もの間神聖視してきた大麻を禁止し、逆にヒンドゥー教が禁止しているアルコールを解禁するという本末転倒な愚行を一気に犯してしまったのである。
 近代ヒンドゥー教の最高聖者ラーマクリシュナの高弟にして、一九世紀末の民族的英雄となった賢者ヴィヴェーカーナンダはこう予言した。
「宗教が政治を制している限りインドは栄えるだろう。しかし政治が宗教を支配した時インドは滅びるだろう」
 現在、ヒンドゥー教の儀式には使用が認められ、一部の都市では政府公認のもとで販売が許可されている。
 だが、大麻に悪の烙印を押したことによって貴重な伝統文化を喪失したことの意味はとてつもなく大きい。大麻の守護神シヴァに公然と反逆したインドの霊性は著しく低下してしまった。
ヒンドゥー教の霊的教師と謳われたサドゥーはいまや大麻を自己調達する必要から携帯電話を片手に大麻の密売に明け暮れる売人、自らの食い扶持を稼ぐ観光ガイドにまで零落した。
●続いて舞台を東アジアに移す。支那では、約二七〇〇年前にシャーマンが薬理作用を目的として使用した大麻が発見されている。後漢時代に成立したといわれる支那最古の薬物学書である『神農本草経』には薬草として用いられていたとの記録がある。
 現在、支那では大麻を麻薬と同列に扱い、販売量が五〇グラム超の場合は死刑になる等、販売、所持及び使用に対して非常に重い罰則を設けている。
 しかし、靴の底縫糸、牛馬車や農具等の縄や綱索をはじめ、窓貼用・壁貼用の紙や油紙、車軸油や灯火用、食用の油など多様な用途に長らく利用されてきた歴史がある。
 そういった下地があるためか、支那ではいま、国家的支援の下で産業用大麻を大々的に栽培している。
 中国は大麻の栽培面積、生産量において世界一を誇る。一九九八年に発表されたFAO(国際食糧農業機関)によると、全世界の大麻繊維の生産高は約七万トン。そのうち支那の生産高は約二万七千トンであり、全世界の生産高の約四割を占める。
 栽培面積は二〇〇五年現在で約二万ヘクタール。栽培地域は広範囲に渡っており、雲南省、四川省、甘粛省、安徽省、吉林省、黒龍江省などが主な生産地として名高い。
 中共と軍の指導者は大麻の総合利用のための研究事業を重視しており、その一環として二〇〇六年三月、「軍用漢麻材料研究センター」を設立した。
 このように支那では官・軍・学・民一体で大麻産業化が推進されている。
●台湾では麻薬と薬物の取締りは非常に厳しく執り行われている。
「毒品危害防制条例」では、麻薬、薬物類を「第一級〜ヘロイン、コカイン、モルヒネ、阿片など本来の麻薬」、「第二級〜覚醒剤、MDMA、大麻、LSDなどの幻覚、興奮剤」、「第三級〜FM2などの抑制剤」、「第四級〜一定の精神薬原料等」の四つに分類する。
 大麻を対象とする第二級の罰則は、無期懲役あるいは七年以上の有期懲役及び七百万元以下の罰金となっており、極めて厳しい。
●韓国における大麻規制は一九四八年に出された米国の政令に遡る。
 一九七三年までは規制対象をインド大麻に限定し、国内で昔から栽培されてきた在来種は規制しなかった。しかし、一九七六年に「大麻管理法」が制定されてすべての大麻が規制対象となり、大麻を栽培・所持・取引・輸送・保管・利用する者は処罰されることになった。二〇〇〇年に「麻薬類管理法」が制定され、現在に至っている。
 一説には「大麻管理法」制定の背景には在韓米軍の問題があったという。
 在韓米軍がメキシコから持ち込んだ大麻が基地内で蔓延していくなか、在韓米軍の兵士達の間ではメキシコ産の大麻よりも韓国産の大麻の方が評判が良かった。そのため、韓国産の大麻の喫煙が在韓米軍の文化となり、やがて韓国の若者を中心に広がった。
 その結果、米国からの通達で「大麻管理法」が制定されたという。
 米国主導で一九六一年に締結された「麻薬に関する単一条約」をいつまで経っても批准しない、韓国の抵抗に業を煮やして米国が強権発動したというのが真相であろう。
 韓国の大麻栽培は免許制だが、日本とは異なり、農業協同組合で免許を無料かつ容易に取得することできる。
二〇〇五年現在の栽培面積は約百ヘクタールである。葬式の際に利用する死装束や漢方薬としての用途がある。
 一般的に、韓国の大麻規制は日本同様に厳しいといわれる。
 ところが、芸能人が大麻問題をおおっぴらに語ったり、大麻を題材とした映画が公開される他、国の合理的な麻薬政策とその賛否を巡る学識者間の公開討論会が開催されるなど、わが国のように画一的な情報の統制や操作がない分だけ状況はましと言えよう。
 また、官・民・学が一体となって大麻の研究と実用化を推進している。二〇〇八年から地方で相当規模の面積で産業大麻の栽培が開始された。高麗大学をはじめとする大学数校で大麻専門学部が設けられた。
●北朝鮮の状況については詳細不明だが、洩れ伝わるところによると大麻に対する関心はかなり高いようだ。
 二〇〇四年七月二三日付の党機関紙『労働新聞』は、「魅力ある作物」と題する記事を掲載した。
 記事によると、大麻は古くから栽培されていたが、最近ではその存在すら忘れ去られようとしている。金正日総書記は「大麻はわが国に昔からあるすばらしい植物だ。繊維、食品、燃料、医薬品などさまざまな利用ができる。国民、特に若者は先頭に立って大麻を栽培せよ」と檄を飛ばしている。
 これを受けて早速研究が開始されたが、大麻から油を搾って分析した結果カンナビノールが検出され、毒性有りとして敬遠されたまま、研究も普及も行き詰っていた。
 昨年訪朝した大麻専門家の麻枝(まえだ)光一氏によると、大麻の種や油は日本や欧米で食用とされ、大麻ミルクを作って子供に飲ませると理想的な栄養食になるという話に当局者は驚き、すぐに研究を始めると意気込んだという。
 約一〇年前に日本で大麻油を軽油化して北海道から九州までバスを走らせた話にも、身を乗り出して興味を示すなど、強い興味と関心を示した。
 鎖国体制を敷いているため大麻に関する最新情報に接する機会がないのが悩みだが、幸いにして世界的な大麻規制網の圏外にある。
 大麻に関する正しい知識さえ入手すれば、党の指導の下で急速に研究開発が進むであろう。(つづく)

 第3回 「大麻規制史 上」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)5月1日第337号)

●「大麻は麻薬であり、薬効と毒性が強い。反社会的行為を助長する有害な植物であり、百害あって一利なし」という社会的評価が確立されている。
 現代に生きる日本人はこの「常識」を疑うことなど、露ほども夢想だにしたことはない。
 大胆不敵にもこのような「常識」に反発して大麻に手を染めるような不届き者に対しては、到底許し難い反社会的行為として徹底的に制裁を加えなければならないと無条件で信じている。
 ところが、この「常識」が確立されたのは六十数年前であり、長久の人類史においてはほんの一瞬の出来事に過ぎない。
 さらに、米国が全世界を大麻禁止で一元化する構想を完成させてほっとしたのもつかの間、欧州各国の造反劇に遭って万全の体制に綻びが生じた。
 加えて、米国内からも政府の方針に異議を唱える声が方々から上がり、米政府としては例外適用を認める不本意な状況が、最近の趨勢となっている。
 しかし、わが国ではこのような大麻を巡る世界の最新の動きに全く無頓着で、入口段階で研究や論議することすらタブー視している。
 つまり、わが国における大麻に対する「常識」は、世界的にはもはや常識ではなくなっているのだ。
 大麻に対して極度なまでの嫌悪感を抱いて厳罰方針で臨む国はわが国だけではない。
 だが、約半世紀前までは日常生活から神事や祭祀に至るまで聖俗のあらゆる場面で利用され、日本人の暮らしに密着してきた大麻が、なぜ正反対の扱いを受けるようになったのか。なぜ見直しの機会すら与えられないのか。
 まずは大麻規制に至る過程と、米国と欧州各国の現況を概観することにしてみたい。
●時は一九世紀中頃に遡る。インドを掌中に収めた英国は、東アジアの大国清に次の照準を定めた。
 英国はいわゆる三角貿易で清国内にアヘン禍をもたらし、これに反発した清に難癖を付けてアヘン戦争を勃発させた。続いてアロー号事件を契機に戦争を仕掛けて、いずれも勝利を収める。
 アロー戦争後に締結された北京条約には、支那人の海外渡航許可条項が盛り込まれた。これによって支那人は劣悪な条件下でも働く労働力として欧米や世界の植民地へ流出する。
 支那人の大量流出で各地に支那人コミュニティーが誕生するが、同時にアヘンの使用も伝播して各国でアヘンの害毒が知れ渡り、反アヘン運動が高揚していった。
 清では数十年間に及ぶ英国とのアヘン貿易によりアヘン中毒者が激増し、国力も疲弊して深刻な社会問題となっていた。
 清国内で活動中の宣教師はこの状況に注目し、国際的な取組みを訴えた。これを受け、米政府の発案により一九一一年、オランダのハーグで万国アヘン委員会が開催され、「万国アヘン条約」が締結された。
 米国では第一次世界大戦の最中、兵士の間でコカインが蔓延し、痛み止めのモルヒネによって中毒患者が続出したことから、一九一四年一二月、国内初の麻薬取締法である「ハリソン麻薬法」が制定される。
 当初は大麻も取り締まる案が出たが、獣医学関連の医薬品として販売していた製薬業界の抵抗に遭い、対象から除外される。だが、麻薬の規制がかえって大麻の流行につながることが懸念され、一九一五年にカリフォルニア、ユタ、ワイオミングなどでは州法によって大麻の取り扱いが禁じられた。
 これ以降、大麻栽培に従事するメキシコ系移民への偏見や禁酒法の反動といった逆風のなか、大麻は包囲網を敷かれ、その許容範囲がじわじわと狭められていくことになる。
 一九二六年「第二アヘン会議条約」が締結され、ヘロイン、コカインに加えて大麻が初めて統制対象となった。
 米国内では一九二九年に一六の州で大麻の売買と所持が禁止される。
 そして一九三〇年には連邦麻薬取締局(FBN)と連邦捜査局(FBI)が設立され、連邦麻薬取締局のアンスリンガー長官が大麻規制を強力に推進した。これが大麻撲滅を一気に加速させる契機となった。
●アンスリンガー長官は一九三二年、「統一麻薬法案」を提案し、全国州行政官協議会で採択させる。この法案は大麻をアヘン同様に麻薬として定義付け、取締りを各州の裁量に委ねた。
 そこで彼は連邦麻薬取締局員を総動員して州議会に働きかける一方、大麻やマリファナのネガティブ・キャンペーンを全米で展開する。
 統一麻薬法案は様々な修正を加えられ、「マリファナ課税法」として議会に提出される。この法案は、課税と使用時の手続きを煩雑化して、実質的に大麻の使用を抑制させるように仕向けるのが目的であった。
 全米医師会や大麻繊維業界、大麻生産者の抵抗も空しく、一九三七年八月にマリファナ課税法は連邦法として制定される。これに伴い、医療大麻の使用は激減することになる。
 一九四一年、医療大麻はついに米国から完全に姿を消してしまった。
 続いて一九五一年には「ボッグス法」が成立する。これは執行猶予や仮釈放を一切認めない必要的最低量刑を定めた厳罰法であった。
 一九六一年、国際連合は万国アヘン条約をはじめとする複数の大麻統制法を簡素化するため、「一九六一年の麻薬単一条約」を採択する。
 大麻と大麻樹脂の取扱いは従来同様に規制され、新たに大麻栽培の許可にも規制が加えられた。さらに、医学と科学目的以外の大麻を二五年以内に廃止せよとの方針が打ち出された。大麻にとってこのときが最悪期だった。
 しかし、六〇年代を境に、米国では大麻規制一辺倒の方針にブレが生じ始めた。大麻に関する第三者の肯定的な検証結果、ヒッピーやリベラルな政治家の登場が歯止めとなったのである。
 八〇年代は政権交代の度に規制の緩和と強化の間で一進一退の状況が続いた。一九七〇年に制定された「規制物質法」が足枷となり、医療大麻の研究はなかなか進捗しなかった。
 だが、エイズ患者の激痛や薬による副作用を緩和する効果が大麻にあることが判明し、良心的な医師や学者、活動家たちの活躍も相俟って、大麻に対する市民の認識は徐々に変化した。
 連邦政府や半数の州はいまだに厳罰方針で臨んでいるが、一三の州で医療大麻が合法化され、一二の州は少量の個人使用を許容している。
 大麻を目の敵にしてきた米国も、医療分野に限っては大麻規制を見直し、これを緩和する柔軟な姿勢に転じているのが現状だ。
●一方、欧州には大麻を薬や食糧、繊維に活用する悠久の歴史がある。
 西紀前一六世紀頃、騎馬民族のスキタイ人がアジアからギリシアやロシアに大麻吸引文化を導入したことから、嗜好目的でも使用されている。
 このように大麻は人々の暮らしに密接に結び付いていたため、大麻規制には常に消極的だった。米国主導の大麻規制に対しては一定の距離を保ったり、反発する国すらあった。
 むしろ、二一世紀に入ってからは、ハードドラッグ犯罪の防止、医療への有益性、バイオマス・エネルギーや植物由来プラスチック、住宅建材への利用が盛んで、今後ますます利用されていくものと期待されている。
 近代以降、世界支配計画を推進してきた欧州の秘密結社が、米国をその「代理人」として使役してきたことを鑑みるに、これは意外な状況である。
 以下、欧州主要国の大麻規制状況の概要を列挙する。
●ドイツでは、禁固五年または罰金刑に処されるが、少量の場合は減免される。各州では個人使用目的での所持かつ少量の場合は不起訴とされ、少量の規定は各州の裁量に任されている。
 フランスは、欧州で所持に対して比較的厳しい措置を採っている国だ。
 使用は禁固一年または罰金、所持は禁固一〇年以下、個人使用目的での所持は使用の場合と同様の措置となっている。
 英国については、二年以下の禁固刑とされるが、常習者や未成年者である場合等を除いて逮捕には慎重姿勢で対処している。
 ベルギーは初犯と再犯の度合いに応じて段階的な罰金刑を設けている。公共の秩序を乱す行為を伴う場合は、禁固三ヶ月から一年とされる。
 デンマークは罰金または二年以下の禁固刑を規定し、単純所持の場合は七〇ユーロの罰金刑が言い渡される。
 スイスでは罰金または一年以下の禁固刑とされるが、個人使用目的の所持は処罰の対象外と規定している。
 ロシアにおいては、二〇グラム以下の所持は四千ルーブル以下の罰金または社会奉仕刑、二〇グラム以上は禁固刑が適用されるが、医療目的の使用と所持は容認される。
 フィンランドの場合は、罰金または六ヶ月以下の禁固刑であり、一〇グラム以下の大麻樹脂、一五グラム以下のマリファナ所持は五〜一〇日間の拘置に処される。
 オランダは三〇グラムまでの所持は一ヶ月以下の禁固刑または二二五〇ユーロの罰金、三〇グラム以上の所持は最高四年の禁固刑と定めている。
 一方、同国ではヘロインやアンフェタミンを「ハードドラッグ」、大麻を「ソフトドラッグ」に区別して取り締まり、少量の大麻所持と決められた場所での使用は罪に問わない。政府公認の「コーヒーショップ」という販売店で規定量以内の大麻を購入することが許容されている。
 このような非犯罪化政策により、国民のハードドラッグへの関心抑制とともに、ハードドラッグに関わる危険な状況への接触を回避させることで、実際に事件や事故を減少させる成果を挙げている。
 スペインは公共の場での使用・所持は行政処分とするが刑事罰は無く、個人目的使用での所持は逮捕・起訴の対象外とされ、大麻に寛容である。
 イタリアでは、大麻所持の再犯者に運転免許停止と一日間の夜間外出禁止等の行政処分があり、初犯かつ今後繰り返し使用する意図がない場合のみ警告で済む。
 ポルトガルについては、一〇日分の使用量以下の所持の場合、コミュニティーサービス・免許停止・罰金等の行政処分となり、それ以上の場合は一〇日間の留置に処される。(つづく)

 第2回 「大至急、大麻を復活せよ!」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)4月15日第336号)


●福島第一原発の事故は、東日本大震災がもたらしたもう一つの悲劇だ。
 半永久的に消滅しない放射能が拡散し、世界中がその恐怖に覆い尽くされようとしている。
 しかし、この難局を打開する救世主などいないと絶望するのはまだ早い。この世には常識を覆す救世主がすでに存在するのだ。それは大麻である。
 大麻はアサ科の一年草で、雌雄異株の双子植物である。成長は極めて早く、背丈は三〜五メートルにまで達する。
 大麻は本来「おおぬさ」と称される。日本を代表する麻であり、わが国で麻といえば大麻を指す。
 かつて、桑、漆(うるし)、茶、楮(こうぞ)、紅花(べにばな)、藍(あい)、大麻は四木三草と呼ばれ、日本の産業に活用された主要な植物であった。
 葉は掌状をなし、小葉の枚数は一、三、五、七、九……というように奇数で増えていく。規則正しく成長する様は芸術的であり、神秘的ですらある。
 開花後に受粉すると実を結ぶ。大麻の実には大豆と同等のタンパク質が含まれ、大豆よりも消化吸収が良い。
 その種子は不老長寿の食材として古来から有名で、支那では大麻の実を麻子仁と称して重宝した。釈迦は七年間の修行期間中、一日一粒の種子を食したといわれる。
 種子から抽出するオイルには、燃料油、食用油、マッサージオイル、機械油、化粧品の原料、塗料の原料、健康補助食品など多種多様な用途がある。
 茎の皮から採れる繊維は、糸、紐、布、紙などさまざまな用途に利用することができる。石油化学繊維と比べて着心地が良く、肌にもやさしい。通気性と吸水性に優れ、肌着のように柔らかいものからロープのように丈夫なものまで幅広く加工できる。
 大麻繊維で作られる断熱材は夏は涼しく冬は暖かい。まさに呼吸する省エネ建材だ。茎をチップ状に砕いて石灰と混ぜて作るボードは自由自在に成形しやすい。固まるとコンクリートのように丈夫で、非常に高い耐火性も持ち合わせている。
 茎は大麻紙の原料である大麻パルプにもなる。木材パルプと比べて耐久性に優れ、同じ栽培面積で木材パルプの四倍もの紙を量産できる。
 一七七六年の米国独立宣言の起草文は大麻紙に記された。耐久性は抜群で、いまだに劣化していない。
 生育に数十年を要する木材と比べ、一年草の大麻は生産効率と対費用効果の面でも断然有利だ。欧州全土の一二%の土地に大麻を栽培すれば、全世界の年間需要が充たされるという調査結果も出ている。
 また、茎からは環境に優しく土に還元するバイオプラスチックを作り出すことができる。
 一九二九年、米国のフォード社は、車体の七〇%が大麻とサイザル麻と麦藁、三〇%が大麻樹脂結合材から車を製造し、大麻の種子から搾取した油を燃料にして走行する実験に成功した。
 この車は従来の同型の車と比較して、重量は三分の一ながら衝撃強度は十倍もの強靭さを誇った。
 大麻製の燃料は、化石燃料のように重金属や硫黄を放出しない。大麻は空気中の二酸化炭素を酸素に還元する力が他の植物よりも大きく、落葉樹の三〜四倍の二酸化炭素を吸収する。
 仮に北米の六%の土地で燃料用大麻を栽培すれば、米国は化石燃料に依存する必要が全くないといわれる。
 大麻からは、実に二万五千から五万種類もの工業製品を製造することが可能だ。南極、北極、グリーンランド以外の世界の全地域で栽培可能で、いかなる環境にも適応する柔軟性がある。農薬や化学肥料が不要であり、土壌から必要以上の養分を奪わない。
 防虫効果と抗菌作用も極めて高い。害虫にも強く、除草剤や殺虫剤も必要としないため、土壌を改善し、地下水の汚染も防ぐことができる。
 現代社会で深刻な問題となっている電磁波や紫外線などの有害物質に対しても絶大な効果を発揮する。
 大麻の繊維は電磁波に影響されにくく、電磁波シールド測定法では電磁波に対してある程度の中和効果が認められるという。
 わが国では古来から、神社、仏閣などで大麻繊維を利用して結界を張っていた。古代人は大麻の持つ電磁波中和効果、つまり罪穢れを禊祓う科学的技術を活用していたのである。
●さて、ここからがいよいよ本題だ。驚くべきことに、何と放射線対策にも有効だというのである。
 チェルノブイリ原子力発電所の事故で汚染された土壌から放射能を取り除くために、ファイトレメディエーションという技術が利用されている。
 この技術は、植物が根から水分や養分を吸収する能力を利用して、土壌や地下水中の汚染物質を吸収して分解するものだ。その目的に最も相応しいのが大麻であり、とりわけTHC(テトラヒドロカンナビノール)の含有量が少ない産業用大麻なのである。
 米国の Consolidated Growers and Processors社とPHYTOTECH社、ウクライナのInstitute of Bast Crops社は、一九九八年からチェルノブイリ原発周辺に産業用大麻を植えるプロジェクトを始動している。
 この大麻を利用して、広範囲かつ地下深くまで浸透した放射能を大麻に閉じ込めて封印するというわけだ。
 放射能汚染された土壌を浄化するために植えた大麻は、収穫後にエタノール蒸留すればバイオ燃料に転用できる。放射能を消去するまでには至らないので、残余物は焼却し、生じた灰は放射性廃棄物と同様の方法で処理する必要がある。
 但し、電磁波や紫外線と同様に、放射線をも中和する効果があるという説もある。これが本当なら朗報であり、放射能除去にかかる処理負担は大いに軽減されることになる。
 以上のように、現代科学では極めて困難と考えられてきた放射能除去処理が、太古から普遍的に存在してきた植物によって実現可能なのである。
 それならば、放射能汚染が深刻な福島県はもちろん、隣接する東北各県や関東地方に一刻も早く大麻を植えようではないか。
●そして、大麻の活用を訴えるのにはもう一つ理由がある。
 それは日本人が喪失した霊性を復活させる重要な鍵だからである。
 日本では古来より大麻は神聖なものと崇められ、神々が大麻を伝って天から降臨したとの言い伝えがある。
 大麻は罪穢れを祓う聖なる植物として、お札や御幣、神社の鈴縄、注連縄(しめなわ)、巫女の髪紐、狩衣、お盆の迎え火など、神事と関連してあらゆる場面で利用されてきた。
 大相撲の横綱の化粧まわし、下駄の鼻緒、凧揚げの糸や弓弦、花火の火薬などの形で、大麻はわが国の伝統文化にも見出すことができる。
 大麻には強い生命力がある。天皇家は大麻を魂の象徴、神の依り代として稲と並ぶ重要な植物と位置づけた。
 古代から皇室祭祀の一翼を担った忌部氏は、神事執行のための空間や道具を創造し、麁服(あらたえ)という大麻繊維で作った神衣を織る役割を果たしていた。
 このように大麻は天皇家や日本人の暮らしと不即不離の関係にあったが、二〇世紀に入ってから全世界的に推進された大麻排除の策謀にわが国も否応なく巻き込まれることになった。
 米国政府と産業資本家は予め、大麻は毒性の強い麻薬だとでっち上げて、ネガティブキャンペーンを展開、麻薬=悪という洗脳工作を仕掛けた。
 その間開発中だった石油繊維が完成するや、その拡販と寡占化のため競合する大麻繊維の排除に乗り出す。
 彼らは一九二六年、「第二アヘン会議条約」の締結にこぎ着け、ヘロインとコカインに加えて大麻の使用を全世界的に禁じる道筋をつけた。
 わが国はこの条約締結を批准したものの、条約が規制対象とする印度大麻草などの医療用大麻は国内には存在せず、国内で主に栽培している大麻は適用しなくても良いと機転を利かせて、引き続き大麻を規制しなかった。
 だが大東亜戦争の敗戦後、GHQは覚書(メモランダム)なるものを振りかざし、大麻規制を強要した。これを受け昭和二三年「大麻取締法」を施行し、日本はついに大麻の取扱いを原則禁止とする厳格な措置に転換することを余儀なくされた。
 GHQが覚書を発行して大麻禁止を迫った背景には、日本文明の根幹である国家神道と大麻の関連性を断ち切り、日本民族を精神的に去勢しようという狙いが隠されていた。
 欧州各国では今日、医療用大麻の効能やエコロジー的有用性が再評価され、大麻規制を緩和し有効活用する動きが徐々に高まっている。
 ところが、わが国はいまだに大麻禁止方針を頑なに墨守している。米国ですら規制に風穴を開けようとする気運が高まっているのに、日本ではかつてのGHQの亡霊に盲目的に追従して自己検閲し、復活に向けた動きを水際で封じ込める有様だ。
 古代に神事で祝詞を司る中臣氏が変節し、それ以降徐々に言霊が乱れた。そして六〇余年前、祭祀空間と道具を司る忌部氏によって死守されてきた大麻にもついに魔の手が及んだ。
 祭祀や食用などごく一部の用途を除いて栽培や使用が厳禁とされた。その分だけ日本人と神を結ぶ回路は閉ざされ、神から日本人に流れ込む生命エネルギーは激減した。
 これが日本人の著しい霊性喪失をもたらしたことは明々白々だ。
●日本国民に告ぐ。直ちに大麻を復活せよ! 死の灰で穢れた東日本の大地を大麻の海原で埋め尽くせ!
 空高く垂直に数メートルも伸長し、地中にも数メートルの根を張り巡らせる脅威の生命力は、復興の象徴として人々を大いに勇気づけるだろう。
 収穫後に加工され所狭しと並べ吊された黄金色の繊維の束は、黄金の国ジパングが決して比喩ではなかったことを思い起こさせてくれるだろう。
 東日本大震災は、放射能により日本民族と龍神の化身である日本の国土の肉体的生命を脅かしている。
 冤罪の汚名を雪(そそ)ぎ大麻の名誉を回復させることが、肉体的生命の危機から脱する足がかりとなろう。それは同時に、失われた霊性の復活、すなわち精神的生命の蘇生にもつながる。
 既に太古の昔から存在し、日本文明で中心的役割を果たしていた大麻を再評価する。そして、これを社稷の中心に据える。大麻こそ「神一厘の秘策」となりうるのである。 (つづく)


 第1回 「終わりの始まり」
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)4月1日第335号)


 三月一一日に三陸沖を震源とするM9の巨大地震が発生してから、およそ三週間近くが経過した。
 沿岸の都市や集落が壊滅的打撃を被った太平洋側の各県はもちろん、関東地方にも甚大な被害を及ぼしている。
 その後も東北地方のほか茨城や千葉、新潟、長野、静岡でも大型の地震が断続的に発生し、関東、東海、南海の三つの震源地が連動して同時発生する巨大地震の噂が飛び交っている。
 富士山麓でも震度6強の地震が発生しており、富士山大噴火を危惧する声まで出始めた。
 そのうえ、福島第一原発で事故が発生し、炉心溶解から水蒸気爆発へと至る最悪の事態が懸念されている。消防隊や自衛隊が決死隊となって冷却作業に当たるも、施設内外で超高濃度の放射線や放射能が検出され、予断を許さぬ危機的状況がいまも続く。
 今回の事件は「天災」ではない。間違いなく「人災」である。
 確かに地震は自然現象だが、政府与党と東電の無責任体質、当事者意識の欠如と自己保身が被害をいたずらに拡大させている。
 情報の操作と隠蔽に明け暮れ、対応は後手後手に回り、場当たり的対応に終始するがゆえに、国内だけでなく海外でも不満と不信感が増幅している。
 ところが、出来の悪い身内の不始末が被害をいたずらに拡大させた、と結論付けるにはまだ早い。
 実は、海底プレートに過大な負荷をかけて「故意に」大地を揺さぶった者たちの存在が囁かれている。
 今から六年前、今回の大災害と関連して注目すべき一冊の本が発行されていた。『気象大異変〜人類破滅へのカウントダウン』(船瀬俊介著、リヨン社、平成一七年五月)である。その一部を抜粋して以下に引用する。
「米国防総省が秘かに想定した驚愕予測シナリオが存在する。
 それは、『マグニチュード九程度の超巨大地震が東海沖で発生した場合、最悪で死者は二〇〇〇万人に達する……!!』という目の眩む予測だ。
 これは二〇〇四年一二月のスマトラ沖地震と同規模。その結果、『名古屋、東京、大阪から瀬戸内周辺まで壊滅的な被害を受け、死者は二〇〇〇万人に達する』という。
 予測シナリオを作成したのは米国防総省(ペンタゴン)『ヒュージョン・センター』。アメリカにとって脅威になりうる事象をモニターする世界規模の監視センターである。
 偵察衛星、地表観察、通信傍受、さらにスパイ活動などで世界中の情報を収集解析している。
 アメリカは近年、巨大地震が予想される東海地方の地殻変動などの二四時間監視を続けている」
「それにしても、地震だけで二〇〇〇万人が死ぬなどということは起こりえない。ペンタゴンは、巨大地震による衝撃と、巨大津波による太平洋岸の原発の爆発という悪夢のシナリオを想定しているのは間違いない。
 静岡県御前崎市の浜岡原発が爆発すると約八〇〇万人が死亡する……と原発専門家は予測している。アメリカは太平洋岸の二〜三基の原発が爆発することを想定しているものと思われる。」「さらに、アメリカは『日本国民救助』の名目で『沖縄に駐留する海兵隊を本土に派遣』して、『空母や艦艇を避難場所として提供する』シナリオまで作成している。こうして、『米軍が主導権を握って、世界中の救助活動の指揮系統を作成する』という。
 これは別の言い方をすれば、巨大地震に『便乗』したアメリカ軍部による日本再占領だ。二〇〇〇万人もの死者を出し、世界の経済・金融の一大センター東京は壊滅。もはや日本は独立国としての体をなしえない。
 そこでアメリカが再占領して日本を『統治』する。国連決議でこれを認めさせれば、日本はアメリカの委任統治国となる。プエルトリコ並みの正真正銘の『属国』となるわけだ。アメリカに貸し付けた長期国債の数百兆円は、復旧支援の名目で『踏み倒される』のではないか。ここまで先を読み、地震大国日本に原発をたくみに売りつけたアメリカの深謀遠慮はたいしたものだ……」(傍点は安西)
 想定地域と死者数こそ異なるものの、これらの内容は現在進行中の状況をそのまま予見したかのように記載されており、偶然の一致というには余りにも出来過ぎている。
 原発事故に対処する放射能対策専門部隊を米軍が待機させているという情報があり、このシナリオの信憑性をさらに高めているのは不気味だ。
 船瀬氏の説を裏付けるかのように、今回の地震はHAARP(高周波活性オーロラ調査プログラムHigh Frequency Active Auroral Research Program)による人工地震だとの説がネット上を出回っている。
 スマトラ沖大地震、四川大地震、ハイチ大地震、巨大ハリケーン・カトリーナなどの自然災害は、HAARPによって引き起こされた人為的災害との噂はいまだに根強い。
 被災直後、世界中からわが国に対して哀悼の意が続々と寄せられ、支援表明が相次いでなされるなか、特に米国とロシアの対応は迅速で、異様なまでの力の入れようであった。
 米軍の支援は強固な日米同盟関係を象徴する美談として報じられているが、これは善人面した極悪人のアリバイ証明ではないのか。
 一方、海外の邪悪な勢力の企みに呼応して、国内にも彼らと結託する輩がいた。名誉と富貴、自己保身と引き換えに国を売り渡して恥じない者は、彼らが策定したシナリオの実現に嬉々として協力し、その労を惜しまない。
 このシナリオの全体像まで俯瞰できる確信犯は極めて稀だ。大多数の者は彼らの手駒として操られていることに気がつかず、自らの言動が亡国に加担しているという自覚は微塵もない。
 むしろ、自分は常に正しく世のため人のために働く善人であると自惚れ、錯覚している。
 特に戦後急速に進んだ日本人の精神的頽廃と霊性堕落は、こうした手合いが政・財・官・マスコミの各界で跳梁跋扈する土壌を醸成した。
 日本のエネルギー政策、殊に原発推進にかける意気込みは常軌を逸していた。莫大な収入と利権に目が眩み、生態系とそこに暮らす生きものの命を担保にして原発を乱立させてきた。
 非常に危険なので地震国には原発を建設しないのが世界の常識である。
 ところが、世界有数の地震国である日本では既に五〇を超える原発が稼働している。しかもその多くは、海岸沿いにあり、地下に断層が走る禁断の地に建設されている。
 最悪の条件をわざわざ選んで原発を建設しているのは、世界広しといえども日本だけである。
 福島第一原発の一号機は建設から今年でちょうど四〇年目を迎える。日本初の原発である東海原発は、昭和四一年(一九六六)に稼働した。
 四五年も前から地震と津波による大惨事が起こっても構わないという愚かな選択が始まっていたことになる。
 否、正確には、大災害を故意に日本で起こそうとした計画が存在した。つまり、船瀬氏が指摘した米国の邪悪なシナリオは遅くとも四五年前には策定されていたのである。
 邪悪な者たちが人工地震を起こすことができる技術をいつ手に入れたのかは分からない。ただ、彼らがこれを掌中に収めてからは、われわれの運命は彼らに委ねていたことになる。
 今回ついにその時が到来し、地獄の釜の蓋は開けられた。邪悪な勢力は、彼らが信奉する終末論的宗教の教義を忠実に実践し、ハルマゲドンの演出を開始したのである。
 だが、裏には裏がある。
 この世に生きる人間の意思決定には、目に見えない世界からのさまざまな働きかけが大きく作用している。
 表面的には彼らが自らの意思でこの恐怖のシナリオを発動させたように見えるが、実はあの世の邪霊が背後で彼らを操っている。そして、この邪霊もまた、より強力な悪の波動を発する邪神によって操られている。
 しかし、あの世の仕組みはこれで終わらない。その背後には神格の高い神々の関与があり、さらにこれらの神々を通じて邪霊・邪神をも操る、宇宙の森羅万象の主宰神の意思がある。
 あの世と神々の世界は、次元が複層的に重なり合い、相似形をなしてマトリョーシカ人形のような入れ子構造を形成している。善悪や美醜といった二元論的価値観を超越した、人智では到底計り知れない世界である。
 いま目の前で繰り広げられる危機的状況は、われわれにある種の決断を迫っている。
 文明を築く人間の活動の源泉は思想とエネルギーである。
 分裂と対立をもたらす金権万能主義と民主主義を礼賛し、地殻と渾然一体となって眠る石油を分離して採掘し、原子核が自壊する熱で動力を得る原子力を崇める。これらの思想とエネルギーを材料に築き上げられたのが現代文明である。
 今回の震災は、神々が現代に生きる人々すべてに発した警告と勧告である。すなわち、現代文明の「建築材料」がこうした性格を有するがゆえに、現代文明は分裂と対立、自壊を免れずやがて滅亡する。よって早急に新文明へと大転換せよ、ということだ。
「日本は世界の床の間であるから、まず床の間から掃除を始めるのである」
 長い間封殺の形で雲隠れしていた「艮の金神」と「坤の金神」は、大本教の霊能者出口王仁三郎を通じて自らの復権をこう予告していた。その時がいよいよ始まったのである。
 これは「終わりの始まり」に過ぎない。今後もさらなる苦難と試練が日本を襲い、やがて世界中に拡散して混乱の極みに陥ることだろう。自らが撒いた種は刈り取らなければならない。
 だが、われわれは逃げてはならない。今回の震災で人柱となってお役目を果たした人々の死を無駄にしないためにも、逆に迎え撃つ覚悟でこれを克服するのだ。
 世界を立直し万類共存して生成発展するミロクの世となる新文明を世界に先駆けて建設するのが、われら大和民族に課せられた使命である。
 われわれは神からその能力とお役目を授けられているからこそ、この日本に生まれたのだ。天皇陛下の御稜威と神の御加護があるかぎり、何も恐れる必要はない。
(つづく)